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自動車制御開発における変化点と「仲間づくり」
未来を担うエンジニアに向けたメッセージ(後編)

谷川 浩 氏(一般財団法人 日本自動車研究所 新モビリティ研究部 部長)
酒井 和憲 (株式会社東陽テクニカ 顧問)

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目次
  1. 過去の大きな変化の中での仲間づくり
  2. これからの開発現場で大事なもの

自動車制御開発における変化点と「仲間づくり」
未来を担うエンジニアに向けたメッセージ(前編)はこちら

過去の大きな変化の中での仲間づくり

ルールやネットワークを構築することで互いのコミュニケーションを図る

インタビュアー:谷川さんと酒井さんがトヨタ時代一緒に仕事をしていた当時も、マイコンの導入というクルマ作りにおける大きなターニングポイントがあったと思うのですが、どのような苦労があったのでしょうか。また、それをどう乗り越えましたか?

酒井:マイコンが車に導入されたのは1980年代のことです。当時私はABS開発の唯一の担当者でした。開発にあたってまず一番困ったのは、今まであまり関係のなかったブレーキを扱うメカ屋さんや、電子技術の担当者、クルマを評価する人が集まり、一緒になってそのシステムを組まなくてはならなかったということ。それぞれが専門家なのですが、なんというか“お互いの言葉が合わない”のです。
でも、同じ基準で性能評価をしなくてはいけない。コミュニケーションを図るのにまずは仕様書を作るのが大変でしたね。

ただし、当時のマイコンは新しい技術だったので、社内にわかる人も少なかった。だから、私自身比較的自由に開発させてもらえたというのはよかったですね。また、もし開発が失敗しても、生産そのものを中止するという選択肢もあった。今じゃとても無理でしょうけれど(笑)。

インタビュアー:ABSを始め、車の中のさまざまな機能がネットワークでつながるようになると、今までばらばらでやっていたものの統合制御が必要になる。そういった機能や人をまとめるということに関してどんな苦労があったのでしょう。

プロフィール

一般財団法人 日本自動車研究所(JARI) 新モビリティ研究部 部長

谷川 浩 氏

1983年トヨタ自動車に入社しエンジン制御用電子システム、センサー開発、車内LANや国際標準化活動等に従事。2004年にはJaspar設立にも参画。近年では先進的な制御システム開発の仕組み作りや先行開発業務に従事。2013年5月から日本自動車研究所(JARI)に籍を置き現在に至る。

株式会社東陽テクニカ 顧問

酒井 和憲

1980年トヨタ自動車に入社し、自動車へのマイコン制御導入から車載LANを始め電子プラットフォームの実用化まで手掛ける。2004年に株式会社アドヴィックスに転籍し、自動車用ブレーキシステムの開発やTQM(総合品質管理)、情報システムを担当。2019年より株式会社東陽テクニカ顧問を務める。