自動車制御開発における変化点と「仲間づくり」
未来を担うエンジニアに向けたメッセージ(後編)
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自動車制御開発における変化点と「仲間づくり」
未来を担うエンジニアに向けたメッセージ(前編)はこちら
過去の大きな変化の中での仲間づくり
ルールやネットワークを構築することで互いのコミュニケーションを図る
インタビュアー:谷川さんと酒井さんがトヨタ時代一緒に仕事をしていた当時も、マイコンの導入というクルマ作りにおける大きなターニングポイントがあったと思うのですが、どのような苦労があったのでしょうか。また、それをどう乗り越えましたか?
酒井:マイコンが車に導入されたのは1980年代のことです。当時私はABS開発の唯一の担当者でした。開発にあたってまず一番困ったのは、今まであまり関係のなかったブレーキを扱うメカ屋さんや、電子技術の担当者、クルマを評価する人が集まり、一緒になってそのシステムを組まなくてはならなかったということ。それぞれが専門家なのですが、なんというか“お互いの言葉が合わない”のです。
でも、同じ基準で性能評価をしなくてはいけない。コミュニケーションを図るのにまずは仕様書を作るのが大変でしたね。
ただし、当時のマイコンは新しい技術だったので、社内にわかる人も少なかった。だから、私自身比較的自由に開発させてもらえたというのはよかったですね。また、もし開発が失敗しても、生産そのものを中止するという選択肢もあった。今じゃとても無理でしょうけれど(笑)。
インタビュアー:ABSを始め、車の中のさまざまな機能がネットワークでつながるようになると、今までばらばらでやっていたものの統合制御が必要になる。そういった機能や人をまとめるということに関してどんな苦労があったのでしょう。
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