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日本・トルコの絆の礎となったエルトゥールル号。

写真左:樫野埼灯台下の岩礁

写真右:2007年の遺品発掘作業の様子(奥:樫野埼灯台)

日本・トルコの絆の礎となったエルトゥールル号

遺品発掘に東陽テクニカの海洋計測技術が貢献

(掲載日:2018年12月19日)

国土面積は38万平方キロながら、約447万平方キロ※1と世界第6位の海洋面積を持つ日本。それゆえ水産調査、資源探査、航路の安全確保などさまざまな目的で、日本各地で海洋調査が行われています。東陽テクニカは、海洋計測機器のスペシャリストとして海洋調査を多角的にサポートしています。多くの実績の中で、日本とトルコ両国の友好を深めた活動をご紹介いたします。

※1:領海および排他的経済水域を合わせた管轄海域

1890年のエルトゥールル号遭難事故

エルトゥールル号(提供:桑本町 トルコ記念館)写真提供:和歌山県串本町

親日国として知られるトルコですが、両国の強い絆と友好の原点となったのは「エルトゥールル号遭難事故」です。
1890年(明治23年)、トルコの軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に謁見するために訪日しました。しかし帰国の際に、不幸にも台風により和歌山県紀伊大島の樫野埼沖で遭難し、船は座礁、沈没してしまいます。

その際に、地元住民たちは危険を顧みず救助活動を行い、500名以上が溺死する中69名を救助しました。さらに自分たちが蓄えている貴重な食料を提供して、生存者たちを懸命に看護したのです。生存者は、その後日本の軍艦でトルコへと送り届けられました。日本人の献身的な行動は、トルコ国内で広く知られることになり、トルコが親日国となるきっかけとなりました。

遺品発掘を目指して海洋調査プロジェクトがスタート

蒸気船エルトゥールル号の構成部品として、ボイラー、プロペラ、シャフトなどが存在していたと思われます。明治時代以降、沈没現場の樫野崎沖からは大砲などの遺物が引き上げられました。しかし、その後も幾度となく引き上げ作業が行われているものの、船体をはじめボイラーなどが引き上げられたという記録はありません。これら遺物は、まだ現地の海底周辺に残っている可能性が高いと考えられました。
エルトゥールル号の事故に端を発する日本とトルコの友好関係120周年を3年後に控えた2007年、遺物発掘を目的とした海底調査がスタートしました。プロジェクトリーダーにはトルコ海洋考古学研究所所長のトゥファン・トゥランル氏が任命され、当社は3D海底探査機のリーディングサプライヤーとして、同研究所から調査技術面でのサポートを依頼されました。

海底探索の安全確保に海洋計測技術が貢献

プロジェクト参加の目的は大きく分けて二つありました。一つは発掘調査をするダイバーの安全確保および小さな遺品が流れ着きやすいと思われるポイントを推定するために海底地形を把握すること、もう一つは見つかっていないボイラーなどの大きな遺物を見つけることでした。
エルトゥールル号が遭難した海底付近は、地形が複雑なため船による発掘調査は難しく、ダイバーの経験に頼らざるをえない状況でした。そこでまず、船底から海底に向けて音波(音響ビーム)を発信する海底探査機を用い、海底地形のデータを作成しました。このデータをもとに発掘調査は安全に行われ、数多くの食器やコインなどの遺品が引き上げられたのです。

両国の関係者も同乗して、海洋調査を実施両国の関係者も同乗して、海洋調査を実施

データ解析によって明らかになる海底の状況データ解析によって明らかになる海底の状況

樫野崎沖の海底を、3Dモデリングで可視化

もう一つの目的である大きな遺物探査のため、海底探査機で取得したデータをもとに、高精細な3D海底地形図を生成しました。3Dデータを細かく解析する中で、エルトゥールル号が座礁したと言われる岩礁も明確となり、さらに水深約40mの砂地に物体を発見。そのサイズと形状から、エルトゥールル号のボイラーの一部であると推定されました。

大島樫野崎沖の海底を、3Dモデリングで可視化

その後のダイバーの調査で、残念ながら「物体はドーナツ状の岩である可能性が高い」と報告されました。2007年の調査では新たな遺物発見には至りませんでしたが、トゥファン・トゥランル氏はその後毎年樫野崎を訪れ、今でも発掘は続いています。

ダイバーの安全確保と発掘作業の効率アップに、3D海底地形図が貢献できたことは、私たちにとって大きな喜びです。

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