8500型テラヘルツ分光システム 未知の世界を観察する新しいツール

株式会社東陽テクニカ 営業第1部 山口 政紀

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目次
  1. テラヘルツ波とは
  2. 分光とは
  3. 世界初の方法でテラヘルツを身近なツールに
  4. テラヘルツ帯での共鳴と物理現象
  5. 8500型の3つの特徴
  6. 新しいテラヘルツ波発生法
  7. 応用例
  8. 幅広い応用範囲

テラヘルツ波をご存知ですか?最近では空港のセキュリティーチェックでX線透視画像の代わりにテラヘルツ波を使った透視画像が使われ始めています。このように徐々に社会に浸透しつつあるテラヘルツ波ですが、まだまだ市民権は得られていません。テラヘルツ波とはいったいどういうものなのでしょうか。そしてここで紹介するテラヘルツ波を使った分光システムで何ができるのでしょうか。今日はその謎を解明してゆきたいと思います。

テラヘルツ波とは

皆さんがテレビや携帯電話で利用している電波も太陽から降り注ぐ光もどちらも電磁波であるということをご存知でしょうか。そしてテラヘルツ波もおなじ電磁波です。テラヘルツ波は電波と光波に挟まれた中間の領域にあって、その周波数の範囲は100 GHz(ギガヘルツ)から 10 THz (テラヘルツ)です。波長でいうと3mmのミリ波(電波)と波長30μmの赤外線(光波)の間にあります。そのため、別名サブミリ波、あるいは遠赤外線と呼ばれることもあります。テラヘルツ波はこのような中間領域にあるので電波の持つ透過しやすいという性質と光の持つ直進しやすいという性質を併せ持っています。長い間、有効な発生源が無く、科学者のあいだでは最後の未踏領域と呼ばれてきました。

図1:テラヘルツ帯の周波数範囲(灰色の部分)

分光とは

光をプリズムに通して七色に分ける実験をしたことはありませんか。この光を分ける実験から分光ということばが生まれたのですが今では言葉の意味が拡大して目に見える電磁波(光)だけでなく目に見えない電磁波(テラヘルツ波)にも使われるようになりました。光を七色に分けるということは実は周波数ごとに分けているということです。光を使った分光測定では調べたい対象に周波数ごとに分けた光を当ててその透過量や反射量の大きさを観察します。そうすることでこの物質は赤い光(低い周波数)を通しやすいとか青い光(高い周波数)を反射しやすいなどという物質の性質を客観的に確認できます。テラヘルツ波は目に見えないので七色にはなりませんが、光と同じように周波数ごとの透過量を測定して分光測定をします。

世界初の方法でテラヘルツを身近なツールに

この装置の登場でテラヘルツ分光は科学者の身近なツールになることでしょう。これからは専門的な光学の知識がなくても、どなたでもテラヘルツ領域で物質のふるまいを観察できるようになります。いままでは光学やマイクロ波の専門家が時間領域分光法という大がかりな方法でテラヘルツ分光をしてきました。しかし装置に使われる高額なパルスレーザーや手間のかかる光軸合わせが足かせとなり、誰にでも扱える測定手法ではありませんでした。Lake Shore社とオハイオ州立大学は共同で問題に取り組み、新しい測定手法を開発して誰にでも扱える装置を仕上げました。(図2)

図2:Lake Shore社8500型 テラヘルツ分光システム

テラヘルツ帯での共鳴と物理現象

テラヘルツ帯域には様々な物理現象の共鳴周波数が含まれています。物質は外部から共鳴周波数に等しい電磁波を受けるとエネルギーを吸収する性質をもっています。透過率を測定した場合、エネルギーの吸収は透過率の低下として現れます。そのためテラヘルツ波の周波数を変えながら物質を透過する大きさを観察すれば透過率が低下した周波数で共鳴が起きているとわかります。物質の温度や磁場を変えると共鳴周波数やその透過率・半値幅が変化します。それらの観測結果は物理現象を解明する手がかりとなります。

ラクトースの振動共鳴
温度によるピークシフトと半値幅の変化が見える

8500型の3つの特徴

①テラヘルツ分光

この装置はテラヘルツ波の透過率と位相シフト量の2つを縦軸にとり、また横軸として周波数をとります。このプロットを観察することで周波数と吸収の関係が明らかになります。分析できる周波数の範囲は0.2 THzから1.5THzです。この装置の周波数分解能は従来の方法より 1桁細かい500MHzです。分解能が高いことで今まで見逃されてきた現象が発見できる可能性が高くなります。測定も早く、全周波数範囲の分光を実施するのにかかる時間は約10分です。サンプルの直上と直下にテラヘルツ光の放射部と検出部が配置されているので、複雑な光軸合わせは必要ありません。

②強い磁場

この装置には超電導マグネットが装備されていて、サンプルに最大で±9テスラの強い磁場を与えることができます。材料の物性を調べるには磁場は欠かせない要素です。サンプルに磁場を与えることでサイクロトロン共鳴を観察できます。磁場の強度を変えてこれらの周波数がシフトする様子を観察すれば測定の信頼性が高まります。

③温度を自由に変えられる

この装置はヘリウムガス中に置かれたサンプルの温度を最低5ケルビン(マイナス268℃)から室温までの範囲で自由に制御できます。サンプルを取り付けた直後の室温の状態から最低温度に到達するまでにかかる時間は約10分です。測定に際してはソフトウェアに測定の条件を入力しておけばさまざまな温度や磁場の条件下で測定を自動的に進めることができます。

新しいテラヘルツ波発生法

Lake Shore社とオハイオ州立大学が開発した新しいテラヘルツ波の発生法を3つのプロセスに分けて説明します。この方法によって可変周波数単色連続波のテラヘルツ波が発生できます。

新しいテラヘルツ波発生法

①テラヘルツの点滅を作る

まず、2台の赤外半導体レーザーを用意します。特にこの装置では単一の周波数だけを発振するDFBレーザーを使います。そしてこの出力の周波数を互いに少しだけずらしてその差が0.2 THz から 1.5 THz の範囲になるようにしておきます。この出力を光ファイバーでカップラーまで導き、その中で光の重ね合せをします。すると2つの光の位相が一致するときは強め合って明るくなり、逆相となるときは弱め合って暗くなります。この点滅の繰り返し周波数がDFBレーザーの差周波に相当するテラヘルツの周波数になります。

②点滅を光スイッチに導く

テラヘルツで点滅を繰り返す光を光ファイバーに通して光スイッチに導きます。テラヘルツ波を直接光ファイバーで導くことは困難ですが、ご心配には及びません。この新方式では二つの赤外線を光ファイバーに通しているだけなので何も困難はありません。この方法を採用したためにクライオスタットの中まで光ファイバーを伸ばして実験できるようになりました。そのため測定結果に外乱をもたらす窓材が不要で、なおかつ面倒な光軸合わせも不要となりました。

(左)アンテナパターン (右)放射モジュールの写真

放射モジュールの仕組み

③アンテナからテラヘルツ波を放射する

差周波で点滅する光を半導体スイッチに入射します。このスイッチは一般にPCSと呼ばれており、光で電気の伝導度を変えられる半導体です。このスイッチの両側にはアンテナとして金属のパターンが配線されていて、さらにこのアンテナの両端には直流の電圧がかけられています。テラヘルツの速さで点滅を繰り返す光がアンテナの中央に配置されたPCSに入射するとPCSの電気抵抗は点滅と同じ周波数で変化し、それと同じ周波数の電流がアンテナにも流れます。そしてテラヘルツ波がアンテナから放射されるというわけです。単結晶シリコンのコリメータレンズが放射された波を平行なビームにしてサンプルに当てます。サンプルを透過したテラヘルツ波はおおよそ同じ原理で動作する検出部で電流に変換されます。検出部のPCSに導くテラヘルツの点滅に遅延を加えることで透過したテラヘルツ波の位相の情報も同時にとらえることができます。テラヘルツ波が作られてから検出されるまでは10mm程度と短距離なのでノイズの少ない効率のよい測定系が実現できます。

応用例

半導体の電子の有効質量と移動度の測定

磁場中である速度を持った自由な電荷はローレンツ力を受けて回転運動します。この回転の周波数をサイクロトロン周波数といい、これと同じ周波数の電磁波が入射するとサイクロトロン共鳴が起こりエネルギーの吸収が観測できます。半導体中の電子のサイクロトロン周波数がちょうどテラヘルツの領域にあるので磁場の印加も可能な8500型テラヘルツ分光システムを使えば半導体の電子の有効質量を測定できます。有効質量m*とサイクロトロン周波数ωc、電気素量e、磁束密度B、の関係は以下の通りです。

また、キャリアの移動度μは共鳴の半値幅γを取り入れた次の式であらわされます。

64 Kにおけるアンドープインジウムアンチモンのサイクロトロン共鳴の測定結果
共鳴の半値幅と周波数のシフトが観測できる

ウェハーのキャリア濃度測定

半導体材料のプラズマ振動周波数がちょうど8500型の測定範囲内にあれば、テラヘルツ分光からキャリア濃度を導きだすことができます。物質内の自由なキャリアは外部からの電磁波を受けて集団的に運動します。これをプラズマと呼び、その周波数は金属では紫外域、高キャリア濃度の半導体では赤外域に現れます。LSIに利用するような比較的にキャリア濃度の低い半導体ウェハーの場合、テラヘルツ域に現れます。キャリア濃度Nは以下の式を利用して求められます。

ウェハーの導電率測定

従来、半導体ウェハーの導電率はウェハーに4本の探針を押し当てて測定していました。この方法では探針とウェハーのあいだにオーミック(オームの法則に従う)な接触が得られていることが前提条件となりますが、キャリア濃度の低いウェハーの場合このオーミックな電極を形成することがなかなか困難でした。このような場合、テラヘルツ波を使った測定が有効です。この方法では電極を使わずに、テラヘルツ分光を行い透過と反射の境界周波数からプラズマ周波数を読み取るだけです。導電率とプラズマ周波数ωPおよびτの関係は以下の通りです。τの値もテラヘルツ分光の測定結果から導くことができます。

幅広い応用範囲

テラヘルツ分光の範囲は大変広く、半導体、量子デバイス、スピントロニクス、マルチフェロイックス、プラズモン、ナノ材料、メタマテリアル、化学の分野に及びます。テラヘルツ波の本格的な利用はこれからであり、新しい発見が次々と見出されることが期待されています。

測定対象となる現象とその共鳴周波数範囲

筆者紹介

株式会社東陽テクニカ 営業第1部

山口 政紀

1993年4月入社。高感度DC計測器、低温測定機器のアプリケーション担当、ホール測定システムの販売及び開発に従事。